今日の本は、パウロ・コエーリョの世界的名著と呼ばれる アルケミスト〜夢を旅した少年〜
自分の人生はこれでよいのだろうか・・・と思うことは少なからず誰にでもあるのではないでしょうか。 何に生きるのか。どこに向かっていくのか。
その人生という大きなテーマについて、一人の少年の物語をとおして、様々な教訓を教えてくれる一冊です。
目次
自分の心に向き合うことの重要性
ステーブ・ジョブズ氏も毎日座禅を行っていたというのは有名な話ですが、本当にこころから望む「行きたい道」は既に心の中にあり、それに気づくために心と向き合うことを禅を通して行っていたと思われます。毎日の祈りや瞑想から感じる人もあれば、自然との対話のなかで見いだす事もある。ともかく自分の心からつき上がる想いはとてもとても力強い。
人生への向き合い方にも「当事者」と「評論家」がいる
次のような一節がありました。「誰もみな、他人がどのような人生を送るべきか、明確な応えを持っているのに、自分の人生については、何も考えを持っていないようだった。」 何事も人の状況はよく見えても、自分の事となるとどこか甘かったり、本気じゃなかったりする。 人生という自分自身に一番ダイレクトに重要になってくるテーマでさえ、人は往々にして「評論家」になり「当事者」として本気で向き合いきれていない。 自分の信じる道を考え抜いて行動する時、外から見るといろいろ見えるため、いろんな事を言われる。でも自分こそが当事者であり、そこを考え抜いていれば何も恐れる事がないと。 そんな事を教えてくれます。
自分の人生の意味付けを外に求めるか、内に求めるか
本文には「結局、人は自分の運命より、他人が羊飼いやパン屋をどう思うかという方が、もっと大切になってしまうのだ」という一節がありました。 どこか人生に対して評論家になった時、言い換えると自分の人生の運命に向き合いきれなかった時、徐々にその人生の意味付けを外に求め、社会からの受け取られ方や他人からの見え方によって自分の人生の意味を意味付けしたくなるのではないでしょうか。
進みながら、学び、進みながら成長する
「学ぶ方法は一つしかない、それは行動を通してだ。お前は必要なことは全て、お前の旅を通して学んでしまった。」の言葉が印象的でした。安にビジネスマンだからMBAだ。英語でもはじめておくか。ITの資格でもとるかでは甘く、自分の人生の意味付けを自身の中に見いだし、そこに全力になって「行動する」時、そこに必要となる知識は努力せざるを得なくなるし、そこでこそ暗黙値のような本当の価値が身に付くことになるのかもしれません。
時間の経過という毒薬
本書には様々な人々が登場しますが、「時間の経過に毒された人々」が何人かでてきます。「時がたつうちに、不思議な力が、自分の運命を実現する事は不可能だと、彼らに思い込ませ始めるのだ」 その力に負け、どこか自分の運命を実現する事を曖昧にしたまま、今の現実を受入れている人々です。もちろん、時間の経過は、大きな不幸や衝撃を和らげる薬としても働きますが、それは同時に 運命を見いだす事のない人生が刻々と経過し、そのままの人生の終わりに向かっているという現実へのショックも和らげているのだと感じます。
自分が正しいと信じることに進む勇気
「 傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらものだと、お前の心に言ってやるがよい。夢を追求しているときは、心は決して傷つかない。」心の声が、自分の運命に従って生きられている人間は、その危機に際しても前向きさを失わない強さをもって進む事ができるのかもしれない。