今日読んだのは、田口氏の「東洋思考」 。印象深かい箇所を読書メモ。
目次
「グローバル×アジア」の時代を生き抜くリーダーの精神基盤
・一つは強さで押していくタイプ。どのような困難な状況にも、自ら先頭を切って突進し、全軍に対して「俺についてこい」というのようなタイプです。メンバーは強い者に対する畏敬が生じます。やがてそれは、この強いリーダーについていったほうがそうライが開けるのではないかという損得勘定も生じる。
・二つ目は、メンバー一人一人に対する仁愛・慈愛にあふれ、自身は常に後方で全軍を見守り、采配を振るうタイプ。メンバーはリーダーの部下思いの心情に感動して、この人のためならと自分を奮い立たせて困難に立ち向かう事でしょう。
最強のリーダー養成カリキュラム「四書五経」の概要
四書:『大学』・『論語』・『孟子』・『中庸』 五経:『易経』『詩経』『書経』『春秋』『礼記』
結局「四書五教」には何が書かれているかといえば、「完成度の高い人間とはなにか?」ということです。完成度を高めようと努力している姿に、人は畏敬の念を抱くものです。 「人間の救済は人間のみ可能」という中国古典思想の理念は、立派なリーダーこそ、我々民衆を救ってくれる者、それが唯一のたしかなほうほうなのだというリアリズムの上に成り立っています。そういう考え方をすればするほど、リーダーの人間としての完成度の高さを要求するということになります。そのための「カリキュラムとテキスト」が「四書五経:なのですから、360度にわたって「リーダーの保有すべき点」について全て記し、説かれているのです。 従って、一つ一つ「まずは自分の点検リストとして」読み進み「次に自分の弱点・短所・是正の強化リスト」として読んでいくものなのです。
『大学』の教えの一つ
とにかく「格物」当事者意識。案件の成功・不成功は、全員がその問題の解決に、いかに真剣に取り組むかにかかっています。企業も大きくなればなるほど、社員が傍観者・評論家になり「やってる振り」が多くなります。これでは何事もうまくいきません。大多数の社員が「それは私の問題だ」とばかりに当事者意識を持てば、半ば終わったようなもの。 なぜならば、当事者意識を持ったものは、必ず次の「致知」に進み、英知を振り絞って解決策を考えるからです。そして良質の解決策をえたら、次は「誠意」、真心込めて、解決策の実行実施に励みます。これで問題が解決しないということはまずあり得ないのです。
耐えられる自分を作る
西郷南洲と、今の政治家の決定的な違いはなんでしょうか。私は一言で言えば、それは「余裕」に尽きると思います。人間の力量は「余裕」に表れる。 他人が見ても過酷な状況にあるときでも、落ち着きを失うことなく、何食わぬ顔で、時にはニコニコと微笑みさえ忘れずに事に当たっている人がいます。こういうのを余裕と言います。何事に対しても、すぐに限度一杯にならない人です。 その余裕はどこから来るのか、それは「辛酸」から。人間が受ける「辛さ」にも様々なレベルがあります。いってみれば、その辛さの幅を広げていくのが人生と言えます。辛さの幅を広げるとは、耐えられる自分を作るということです。力量をあげるとは、このこと。徐々に難しい事に挑戦し、徐々に過酷なことに挑戦し続ける。すると忍耐の限度がどんどん広げられて、大概の状況には耐えられるようになります。
人を相手にせず。天を相手にせよ。
西郷南洲の言葉。 人間なんていうものは、そんなものだ。だからこそ自分は、これから天を相手に生きよう。天に誠を尽くすかどうかを胸に生きよう。 であれば、誠心誠意、誠実に生きることだ。 辛酸がもたらした人物のスケール
リーダーの指針となる物の見方・考え方「大局観」
東洋的視点は、物事を見る際、根源は何か、長期的・歴史的にはどういう位置付けになるか、多様なものに応用が効くかどうかという三方向から同時に見るということ。 何を見聞きしてもすぐに納得せず「根源根源」と必ずそのものの根源を突き詰める癖をつけ、同様に長期的、多様性にと点検する癖をつける。
孫氏曰く「兵は拙速を聞く」
準備不足ながら開始をしたという意味ではない。むしろ「準備万端整えることこそが勝利を招く」といっている。それは緒戦にかち、戦わずして勝つこと。 戦う前にすでに誰が見てもこちらの勝利を疑わないほどの様々な工作と準備を万端にしろというのが極意で、これを「勝ってから戦え」という。つまり緒戦を勝て。「緒戦二かつ」とは、つまり主導権を握ること。そうすれば何しろ主導権がこちらにあるのですから、終戦に持ち込むことも容易になる。戦争に限らず、交渉ごともさらに事業の立ち上げ、商品の販売も緒戦にかつこと、つまりスタート直後の短期間に合格レベルに到達してしまうことが重要。「初動が決め手」となる
明徳仏性たれ
「明徳」とは自己の最善を他者に尽くしきること。仏性とは、仏の心、慈悲を与える心です。この言葉こそリーダーは忘れてはならない。自己の最善を他者に尽くしきると、感謝の人間関係が成立する。「利害関係」など、様々な人間関係がありますが、その中でもこの感謝を仲立ちとして成立している関係こそが、人間が獲得する最も善良な人間関係です。 しかし、よく考えてみると「事故の最善を他者に尽くしきる」チャンスな度なかなかない。その点、社業、業務は毎日必ず何人もの人に対するわけで、実は感謝の人間関係づくりのチャンスであります。
悟るために働く
学校を出たら就職する。社会に出たら働く。という社会通念や、いい歳して働いていないというような世間体、体面を気にして、働く意味を考えもせずに会社に来る人、そうした社員が多い。 時代は長時間労働による肉体的生産性の時代が終わり、何を想像したかという知的生産の時代。その創造は意欲から来るもの。 我が国伝統の勤労観では、なぜ働きに行くかといえば、その仕事の「修行を通して道を得、悟りに至るため」になります。 つまり、自分の仕事こそが生きている証であり、したがって仕事こそが修行の最たるものということになる。 「逃げないで正面から取り組み、力の限りやってみる」ことが求められる。 そうすると、コツはここにあったのか。ポイントはここなのかと、何か必ず得られるもの。「仕事を通じて自己の向上をはかること」で、これを繰り返すことが真の仕事のやり方なのです。 収入や利得と悟りとの関係で言えば、悟りを求めて仕事に励んでいること自体がその仕事に卓越していくことを表しているわけですから、腕が上がり、技術が上がり、名人や達人へと進んでいくことになります。名人や達人にとどまらず、さらに求め続ければ、それは行くすえは永遠の心理に到達すること。つまり悟りに至ることも可能です。名人、達人になれば、その気になればそれなりの収入や利得生えられることになります。ただし、目的を収入や利得に向けて仕舞えば、いや向いて仕舞えば、悟りに至る道はここで停止する。言い方を変えれば収入、利得を得ることと悟りを得ることに矛盾はないのです。
業務だけで終わるな
業務の中から何を得るのか。これが勝負。ただ業務をしっかりこなして一定の業績を上げればそれで良いという考えは捨てる。その業務を通じて、何を得るかの方がより重要なのです。業務をとおしてどれだけ「一流の人間」あるいは、「真のプロフェッショナル」に近づけていくか、常に思って業務に励めということです。
吉田松陰の「志と良い友と読書、人生はこれだけ」
1.志を立てて万事の源とする
2.交友を選んで仁義の実行の補いとする
3.古典を読んで、聖人賢者の教を修得する
以上に感奮後期する所あれば、それは立派な成人、立派な大人と言えるだろう
小学校の教員
初任者は存外、生徒の人気が高く、そのおかげで保護者の信頼を得られたりする。では、小学生はどのような人間に魅力を感じるのかといえば、それは「自分を向上させるのに一生懸命の人」なのです。自分の至らなさは十分に感じていますから、それを補うべく精一杯頑張るその姿が、感受性豊かな子供の目には、とても魅力的に映るのです。つまり、人間は「一生懸命生きている人」にこそ魅力を感じるのです。