【読書メモ】人間の脳の可能性はとてつもないのかも・・・

今日読んだのは、池谷氏の「進化し過ぎた脳」 脳の世界をわかりやすく語った本書から、人間の未知なる可能性を感じざるを得ないのと、未知の自分に出会いたくなる一冊でした。 自分が気になったポイントをメモ。

とても哲学的なテーマだが、具体的な例を示されるととても考えさられる。 交通事故で手を失った人、その人はその人であり続けるといえそうだが、心臓が人工心臓になったらどうだろうか。 全てを人工物や代替物に変えていったらどこで「自分が自分」でなくなるのか。自分であることの意識と、アイデンディティとは何か。そんな疑問から話しが始まっていく。

ホムンクルスという脳の大脳皮質の表面積比で体を表した模型がでてくる。人間のホムンクルスは、人差し指と舌が異様に大きい。指先の感覚と舌が感覚器として重要だということがわかる。生物によってその面積比が変わるのでとてもおもしろいが、人間に取って指先の感覚が研ぎ澄まされているのは、直感的にもよく分かる。 

 ネズミの脳を直接操作して、自由に動きを操作する。そういう研究があるらしい。左右のヒゲが触られたと感じる神経に電極を入れ、刺激された方向に動くと、快感を感じる報酬系の神経が刺激されるようにしておく。 そうするとネズミは報酬系の快楽を求めて、こちらの操作通りに動いてしまうらしい。意志を完全にコントロールできてしまう。 

果たしてこのネズミのアイデンティティとは・・・。 右に行けば快楽が得られるが、快楽を得ずに左に行くという選択肢はネズミの中で選べなくなっている。つまり選択肢が奪われている時点で、この状況は、ネズミ=ロボット なのかもしれない。 人間も何か自分の意思を表現し、選択できなくなる状況でまるでロボットのように操られるような人生になっていることがあるのかもしれない。

 生まれつき4本指の人は、脳に5本目に対応する場所がないとのこと。生まれてみて指が5本あったから5本に対応する脳地図ができるらしい。 もしタコのように8本の足を持ってうまれてきたら、人間の脳も8本に対応したのう地図として作られるはずとのこと。 脳の地図は脳が決めているのではなく、体が決めているというのは新鮮な話しだった。そして一回地図が出来上がったら、もうそれで一切変わらないという硬い構造ではなくて、入ってくる情報に応じて臨機応変にダイナミックに進化しうる。バイオリニストなどを調べると、指に対応する脳が非常に発達している。後天的な訓練・刺激は脳を適応させていくのだということがわかる。 

 人間はたまたま10本しかゆびがない体だったが、この体が変化したとき、脳のポテンシャルがどう発揮されるかは未知数なのだというのがとても新鮮な話だった。体の進化よりもさらに先の進化を遂げている脳。ここにこの本の題名となる「進化し過ぎた脳」というテーマが出てくる。 水頭症の人の脳は健常者の20分の1にもなることがあるが、その脳で生まれた人でIQが126もあったり、大学で主席の成績をとったりするらしい。人間が人間らしくあるためには、そんなにでかい脳なんか持っている必要はない。宝の持ち腐れ状態だという表現もおもしろい。 どれだけ脳のポテンシャルを引き出せるのか。 生き方が問われているとも思える。

・視覚 短く見えたが、パッと長い棒に切り替わるとき、連続的に伸びたと脳が勝手に解釈する。 脳は常にインプットされる情報を補って 認知している。盲点の説明は正直驚いた。確かに点が見えなくなる。黒のバックの中の白い点は勝手に黒く塗りつぶされる・・・。無意識に。脳が補う力を体感できる体験だった。

・クオリア:「覚醒感覚」音楽を聴いて、すごい美しいと思ったり、悲しい気分になったり、リンゴを食べて美味しいとか、あまずっぱいとか、そういう生々しい感覚のこと。ラテン語で「質」という意味。クオリティの語源。 物質の質という意味ではなく、ものの本質に存在するような質感の質。実体ではない質。美しいとか悲しいとか美味しいとかそういうのをひっくるめて「クオリア」という。つまり僕らが世界を体験しているという実感。

 そしてクオリアは”表現を選択できない” リングが甘酸っぱいのはもうしょうがない。「脳」がそういう風に解釈して「私に」そう教えているからもうこれは仕方がない。

言葉とは、「意識」の表れの中で一番顕著なもの。言葉というのは抽象的な思考、つまり「宇宙の果てはどうなっているんだろうか』とか「この音楽を聴いて感じた深い感動をどう表現しようか」とか「自己とはなんだろう」といか、そいう具体性から離れた、抽象的なものを考えるのになくてはならないものだという。 言葉が多様に発達した日本はある意味抽象的な思考を突き詰めていくには向いているのかもしれない。

「好きな時にボタンを押す」という最も単純な行動が自由意思ではないという驚きの話。 脳波を調べると、先に「運動前野」という運動をプログラムするところが動き始めて、そこからなんと1秒ほども経ってから「動かそう」という意識が現れる。つまり脳の方が先に動き始めようとしてた。動かそうと思った瞬間には、もうとっくに動く準備を脳波始めているという。自由意思というのは実のところ潜在意識の奴隷にすぎないと・・・。言葉がない、感覚的な動きの世界に自由意志はないのかもしれない。 

すぐにすべてのことを記憶するようにはあえてできていない。 共通項を探し出す汎化 の作業をとおして、記憶が定着する。繰り返しの中で効率よく汎化していく脳の素晴らしさを感じざるを得ない。 

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